02.08.2020

いつだって真面目が損をする

 


というと「ちゃらちゃらしてるようにみえても考えてやってんだよ!」と野次が飛んでくるのが確実なのはさておき。

真面目(と言われる)側からすれば、いつだって上手く切り抜け波に乗る反対側の人の道は輝いていて、道に乗れない自分が惨めになるもの。

反対側の人が決まって周りからの人望は厚く、人望がある故世間的な成功をしやすいような。逆に、上下関係だとか人間関係だとかを読み過ぎて、お堅いだとかしっかりしているだとか、身丈に合わないレッテルを貼られる上、律儀にそれに見合うように生きる真面目さ、仇でしかない。普段ある自分でない自分で生きることは繕いの身を一つ一つ作り上げる行為もさながら、如何にそれを崩さないように行動するかも重要になる。

…立場無さすぎやしないか?

評価されるのも、上手く助けを乞えるのも、難所をスルッと抜けられるのも“反対側”の人たち。真面目にやっても「真面目だしちゃんとできるから」の一言で片付けられ、それなりの対価しかなく、レッテルが故に一人で解決をしたい真面目たち。

…立場無さすぎやしないか?

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否、私だけの捉え方かもしれないが(ここまで言っておいて)

そうでもないのに真面目と言われ続け、そう言われるべき自分を必死に見繕い、それに見合うようにと生きてきた所為か、不意にその張り詰めた糸というべきか、“何か”がふっと切れる瞬間がやってくる。しかもそのタイミングすら掴めずに。

厄介だと思いつつ、対処法を見出したつもりが、見逃して目を瞑っていただけだったと気づいた今回のその瞬間。

向き合って向き合って消化させるのが私のやり方だとは思うと同時に、見て見ぬ振りをしてその感情が通り過ぎるのを待つのも手だと知っている上で、私はまだまだ弱いんだと肩を落とした、強くなれていなかった。

真面目に取り組むことが出来るのは強みではあるし、責任感の強さや考えの巡り方は人一倍であると思う。その強みをどう活かして弱みを弱みで無くすかの方法は何年経ってもわからない。“真面目にやっていればきっといいことがある”という0に等しい希望に縋ること以外。

 


だからいつだって真面目が損をする。