14.12.2020

女として生きる

 


恥ずかしながら私自身が自分を男女どちらとも思えないので、かなり難しいお題。勿論外見や戸籍は女。女子校育ち。月一のアイツが来るのは周りよりも早かったしまな板ながらも育つモノはあるから生物学的上の女としての機能はある。可愛いものにはときめくしそれなりの化粧も身につけた。料理やお菓子作りもそれなりにできる。けれど、そう女として生きていることに少しながら疑問がある。

 


ひとつ、好きになるのはボーイッシュなものばかり。

フリルやピンクなんてもっての外。小学校の卒業式は制服のスカートがどうしても着たくなくて、レザーのショートパンツにジャケットスタイルで出席した。ペットを育てるより世界を黒に染める悪魔を倒す冒険を。お絵描きより校庭でドッヂボール。少なくとも周りの女の子が好きなものは自分が嫌いなものだった。


ふたつ、「女だから」しなきゃいけないことに興味がない。

今でこそ力を入れようと思い始めたメイクは、専門学校でしなきゃいけないから身につけた付け焼き刃。服はファッション性<<<動きやすさ、利便性。ネイルは3日と持たずに剥がす。無駄毛を剃らないこともしばしば。

怠惰だと言われれば否定する理由もないけれど、生粋の女だとは思えないから女らしくもしたくない。自分が良ければ良くない?の超利己的思想。いいとこすぎ。


みっつ。男、女、2つだけが存在する全ての性でない。

機会があってLGBTQsについて調べてみたり、当事者の方のお話を聞いてみたり、生活を共にする機会があったり、多感期にそれに触れる機会があったことで男女の2つが存在し得る性の全てでない事を理解している(つもり)。だから「男/女だから〜」という考えに共感出来ない。世界に70億人間がいれば70億通の性が有るべきだし、男女の枠を生まれた時点で設けることが2つしかないという考えに固執するきっかけであるような気がする。あくまで私の思うところだけれど。


「女として」生きることとは、私の中では「強く、自立した人」であること。俗に分けられる2つの性や「女だから」に囚われず、自分の生きたいように生きて、強かに、自らが作る道を信じて進むことである気がする。その自分哲学を未だ確立しきれていないけれど、それがどんと確立したときには私は胸を張って生きていけると思う、きっと。