20.02.21

最近のこと

 

月初に大学へ出願をした。

書類審査のみでの合否、ずっと悶々としている。受かっても落ちても病む事案。メンタル弱者に無数の槍を突き刺す大学。

春期で20人だと思っていたら1年で20人、春Ⅱ期に至っては3人しか与えられない枠に怯えて心ここに在らずの生活をしている。お陰でヘアアイロンの電源を切り忘れて仕事へ行ったり淹れたてのコーヒーをカーペットにぶちまけたりのプチ惨事が多発している。おまけに読書にも身が入らない。ふえていく積読、進まない栞、どうしろと。

 

アイドルに再燃した

多分これは好きなことが増えて優先順位が下がっていた状態が改善されただけなのだけど、端的に言えば、かわいい女の子は世界を救う。これはテストに出てもいい。

マスク生活の恩恵で、公共交通機関内でアイドルを見てニコニコしていてもバレないので毎日している常習犯は私です。その為に8時間耐えてるほど。需要供給曲線を捻じ曲げてくる運営さんも良くないし、どんどん魅せ方を学んでおたくの的をど真ん中ぶっ放してくる彼女たちも良くない。いや、いいんだけど。

 

美術熱が上がった。

バンクシー展と最果タヒ展へ。

社会風刺画は結構好きなのでそれを目が足りないくらい見れたバンクシー展。でも映えと化した展示もいくつか、いや、かなり見られて、「映え」についてかなり考えさせられた。

最果タヒ展に至ってはもうこれは史上最高空間。光と影、白と黒、読点と句読点、そして敬愛する人の綴る言葉、それだけの世界。

「、」に溢れているから、続きを生み出せる、詩を作る前の言葉に溢れたモビール。空調にゆらゆらくるくる、繋がる前に動いて言葉が文字通り洪水を起こす。

簡単に言えば、ここで生きているのは、君だけだった。

 

後輩の卒業

初めて私を「先生」として見て、呼んでくれた10人が母校を巣立った。きっともう1-2年もすれば彼女達は私のことなんて忘れてしまうだろうけれど、私にとっては初めてが彼女達だったから、きっとずっと記憶の片隅に彼女達と過ごした1ヶ月が残っているだろうな、と。

彼女達のゆく先が、希望と幸せで満ち溢れますよう。

 

何もしてないなあ、と振り返って見たら割と怒涛だった説?上手く書けないこともあるけど、またそれも落ち着いた頃に昇華しちゃいましょう。いつ書くきになるかな、つぎ。

31.12.2020

2020年、実を言えばでっかい孤独と拭えない焦燥感とやりたいことが出来ないもどかしさと戦って打ち負け続けた1年だった。

ここまで孤独を感じることはなかったし、周りが先に進んでしまうし、働くことしか今はできなくて、悔しくて情けなくて何度挫けて泣いたことか。

それでも21年は切り替えて慎ましくも強かに進んでいこうということで目標を。

 


・貯蓄

→第1優先は学費と免許。それが終わったら、全身医療脱毛を一括で払えるようにしたい。目標は最低30、最高60

・投資の勉強

→積み立てNISAかiDecoかを2022年に始めるために知識をつける。FP3級も取りたいな。

・大学&仕事の両立

→単位は1つも落とさず、働けるだけ働く。

・見た目(土台)の為にお金を使う

→化粧の技術向上も大切だけど土台が整っていなければ買っても意味がないので、肌を整えたり、眉サロンやまつ毛パーマに通ったり、整体やダイエットしたり。小手先の細工よりまずは直すべきところに注力する。

・自信をつける

→言わずもがな毎年目標にして挫折しているので今年こそ。

 


2020年はポジティブに言えば助走の年でしたある種。その助走からマラソンへ切り替えて長く細く何事もやっていきたいし、投資や国家資格の勉強etc...新しいことにも首を突っ込んで守備範囲の広い博識な大人になるべく進もうと思います2021。

 


いい年になりますように。

14.12.2020

女として生きる

 


恥ずかしながら私自身が自分を男女どちらとも思えないので、かなり難しいお題。勿論外見や戸籍は女。女子校育ち。月一のアイツが来るのは周りよりも早かったしまな板ながらも育つモノはあるから生物学的上の女としての機能はある。可愛いものにはときめくしそれなりの化粧も身につけた。料理やお菓子作りもそれなりにできる。けれど、そう女として生きていることに少しながら疑問がある。

 


ひとつ、好きになるのはボーイッシュなものばかり。

フリルやピンクなんてもっての外。小学校の卒業式は制服のスカートがどうしても着たくなくて、レザーのショートパンツにジャケットスタイルで出席した。ペットを育てるより世界を黒に染める悪魔を倒す冒険を。お絵描きより校庭でドッヂボール。少なくとも周りの女の子が好きなものは自分が嫌いなものだった。


ふたつ、「女だから」しなきゃいけないことに興味がない。

今でこそ力を入れようと思い始めたメイクは、専門学校でしなきゃいけないから身につけた付け焼き刃。服はファッション性<<<動きやすさ、利便性。ネイルは3日と持たずに剥がす。無駄毛を剃らないこともしばしば。

怠惰だと言われれば否定する理由もないけれど、生粋の女だとは思えないから女らしくもしたくない。自分が良ければ良くない?の超利己的思想。いいとこすぎ。


みっつ。男、女、2つだけが存在する全ての性でない。

機会があってLGBTQsについて調べてみたり、当事者の方のお話を聞いてみたり、生活を共にする機会があったり、多感期にそれに触れる機会があったことで男女の2つが存在し得る性の全てでない事を理解している(つもり)。だから「男/女だから〜」という考えに共感出来ない。世界に70億人間がいれば70億通の性が有るべきだし、男女の枠を生まれた時点で設けることが2つしかないという考えに固執するきっかけであるような気がする。あくまで私の思うところだけれど。


「女として」生きることとは、私の中では「強く、自立した人」であること。俗に分けられる2つの性や「女だから」に囚われず、自分の生きたいように生きて、強かに、自らが作る道を信じて進むことである気がする。その自分哲学を未だ確立しきれていないけれど、それがどんと確立したときには私は胸を張って生きていけると思う、きっと。

 

02.08.2020

いつだって真面目が損をする

 


というと「ちゃらちゃらしてるようにみえても考えてやってんだよ!」と野次が飛んでくるのが確実なのはさておき。

真面目(と言われる)側からすれば、いつだって上手く切り抜け波に乗る反対側の人の道は輝いていて、道に乗れない自分が惨めになるもの。

反対側の人が決まって周りからの人望は厚く、人望がある故世間的な成功をしやすいような。逆に、上下関係だとか人間関係だとかを読み過ぎて、お堅いだとかしっかりしているだとか、身丈に合わないレッテルを貼られる上、律儀にそれに見合うように生きる真面目さ、仇でしかない。普段ある自分でない自分で生きることは繕いの身を一つ一つ作り上げる行為もさながら、如何にそれを崩さないように行動するかも重要になる。

…立場無さすぎやしないか?

評価されるのも、上手く助けを乞えるのも、難所をスルッと抜けられるのも“反対側”の人たち。真面目にやっても「真面目だしちゃんとできるから」の一言で片付けられ、それなりの対価しかなく、レッテルが故に一人で解決をしたい真面目たち。

…立場無さすぎやしないか?

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否、私だけの捉え方かもしれないが(ここまで言っておいて)

そうでもないのに真面目と言われ続け、そう言われるべき自分を必死に見繕い、それに見合うようにと生きてきた所為か、不意にその張り詰めた糸というべきか、“何か”がふっと切れる瞬間がやってくる。しかもそのタイミングすら掴めずに。

厄介だと思いつつ、対処法を見出したつもりが、見逃して目を瞑っていただけだったと気づいた今回のその瞬間。

向き合って向き合って消化させるのが私のやり方だとは思うと同時に、見て見ぬ振りをしてその感情が通り過ぎるのを待つのも手だと知っている上で、私はまだまだ弱いんだと肩を落とした、強くなれていなかった。

真面目に取り組むことが出来るのは強みではあるし、責任感の強さや考えの巡り方は人一倍であると思う。その強みをどう活かして弱みを弱みで無くすかの方法は何年経ってもわからない。“真面目にやっていればきっといいことがある”という0に等しい希望に縋ること以外。

 


だからいつだって真面目が損をする。

 

20.04.2020

自粛生活何十日か目。

 

ふと思い返すと、ホストマザーの扁桃腺炎がコロナ疑惑かけられたことから始まったわたしの自粛生活。

オーストラリアにいたときは、楽しいことを考えてくれたりお話してくれたりするホストの2人がいたし、パッキングや欠便になった飛行機の行方を案じなければならなかったから、気分が萎えることはあまりなかったように思う。

ところがどっこい、日本に帰ってきて自粛生活が必要至急の生活となって、オーストラリアシックも重なり、気分が最悪まで落ち込んでいる。現地で出会った人と顔を合わせたり、肌で温もりを感じたりできないこと。このご時世と不景気の影響で仕事が全く見つからないこと。この9ヶ月、友達に会って語らうためにも耐えていたのに、いつ会えるのかすら見通しが立たないこと。

いいことが1つくらい起きてくれてもいいんじゃない?ねえ??

 

某ウイルスに生活を脅かされ、楽しみという楽しみを奪われ、鬱々と、粛々と、いつまで過ごせばいいのか。5/6まで続く非常事態宣言。その後はどうなっているのかすら分からない宙に浮いた生活。

 

一刻も早く、収束でなく終息が来ますように。

 

愛してやまないラブリーな友人たちと気兼ねなく会える、気になるお店に足をふらっと運ぶことができる、そんな日々がやってきますように。


あなたのこと、この世でなによりも恨んでいます。

あなたが自粛しようね、COVID-19。

08.02.2020

ー私、修行中の身なんです。魔法がなくなったら、何の取り柄もなくなっちゃう

 

魔女の宅急便、キキの台詞が何処か自分と重なるような気がして、引っかかる。

3/27。何処か遠い未来の様で近い将来の事。

それは終わってしまったら、何の肩書も特徴も無いただのフリーターの21歳に戻ってしまうということ。“アシスタント”でなくなってしまったら、何の取り柄もなくなってしまう。

非現実的、というのか、考えるのが億劫でそうさせているのか。ただの21歳になりたくなくて、戻りたくなくて、怖い。只管に。両手に持っている皿が、そこに盛られてる物が、あと1ヶ月半もすれば跡形もなく消え去ってしまう事実が鉛のようにズドンとのしかかって離れない。…生徒と先生と家族ともっと充実した時間を過ごしていたいのにこの葛藤が邪魔をしているから、ウスルラがキキに教え伝えたように、ジタバタするしかないのか。

いつか、神がキキに与えた魔女の力の様な、言葉の力が私にもふっ、と舞い降りてきますように。

22.12.19

一口に「読書が好きだ」というけど「好き」って漠然とし過ぎていて何者なんだろうかと。

 

自分の意見や経験、哲学と絡め合えること

題材の世界へ安易に足や手を広げられること

文字の羅列が織り為す表現の美しさ

作者によって変わる表現方法

…考え始めたら溢れ出す「好き」

 

それらは文字にしてしまえば廉価なものに見えてしまうけどそれが生み出す強靭な世界と興味の沼は誰かを真っ黒い何かから手を伸ばす救いでも、他に職をつける原料でもある。

 

私が持つ「好き」は今の現状を作り上げてくれた大切なマイルストーンで、いろんな人と繋げてくれた1番の心の友で、私のアイデンティティを構築している80%、な強力なもの。

 

誰にも譲らない譲らせない触れさせない。