2019.03.02

「死」とは。

 

祖母の3回忌にあたって少し考えた。死んでしまった、という事実は飲み込めているけど、もういない、ということについてはまだ信じていない孫の思慮。

 

辞書には、“生活機能が不可逆的に失われてしまったこと”、“生命がなくなること。死ぬこと。また、生命が存在しないこと” と。

意味を捉えて仕舞えば=になるものではあるけれど、そもそも生も死も抽象的概念過ぎて掴めない。脳死でも心臓が動いていればそれは「死」にはならない(“生命が存在しないこと”という辞書の定義的に言えば)し、逆に、心臓さえ止まって仕舞えばそれは「死」となる。人間、動物に限るが。

でもそれは形骸的な「死」であって、精神論を振りかざせば、キリストにも仏教にも神道にも「あの世」的概念は存在していて、形骸的死を迎えた「魂」(そもそも存在するのか)はいつ死を迎えるのかもまた謎。その魂があの世で永遠に生き続けるとすればそれもそれで恐怖というか、だったら形骸的に不死でよくない?とも思う。

 

結局、「死」とは身近に感じ始めたが最後、人生同様答えの出ない一生の問い、というのが私の答え。そもそも、考えたところで誰も死んだことないから答えなんて知らないじゃん(笑)

 

実現可能な世の中になったら、チームを組んで臨死体験を何度か積んで、「死」について「あの世」について、今は想像で語られる概念だからこそ、子供にも大人にも誰にも腑に落ちる答えを世に知らしめたい。あわよくば、の話だけど。願ったり。