2019.03.03

「分人」のこと

昨日からサイコパスみのある内容になってる。

 


平野啓一郎さんの本を読んで以来、分人主義を掲げている。

分人=知り合いに対応する複数の自分=個人

1対1の関わりを1として、関わる人が変われば私の顔も勿論変わるから私の顔は10にも50にもなる、でもそれは全て私だということ。(≠多重人格)(超私的解釈)

 


人付き合いが得意でない分、人によっても、家の外と中によっても、私は私を使い分ける。何故か小学校低学年には身についていたから、自然と使い分けて過ごしてきたけれど、中学~高校で関わりが増える度自分が細分化されて疲弊すること、生きづらいと感じることが増えた。

 


「本当の自分ってどの自分?」って。

 


その矢先に「分人」が出てくる本と逢った。

この人達といる時の私も、あの子といる時の私も、総じて私という人間の構成要素の1つで、その集合体も私。「本当の自分」はただの幻想でしかない。

 


それ以来、この人といる時の自分はこうなんだ、とか、あの人だからこの自分を今日は当ててみよう、とか、常に考えてる…わけじゃないけど、少し知るようになった。それだけで生きやすくなった。対人関係が苦ではなくなった、少しだけ。

 


「分人」は自分が作る心地いい、生きやすい自分のあり方で私はどの分人も私だから愛してる。私は私を愛して、自己愛に生きる。